正親町三条 公厚(おおぎまちさんじょう きんたる、文政3年1月2日(1820年2月15日) - 文政5年1月12日(1822年2月3日))は、江戸時代後期の廷臣。父は参議正親町三条実義。母は松本藩主松平光年の娘。弟に大納言正親町三条実愛がいる。正親町三条家の当主に数えられるが、わずか3歳で卒去。最終官位は従五位下だった。
正親町三条 公厚(おおぎまちさんじょう きんたる、文政3年1月2日(1820年2月15日) - 文政5年1月12日(1822年2月3日))は、江戸時代後期の廷臣。父は参議正親町三条実義。母は松本藩主松平光年の娘。弟に大納言正親町三条実愛がいる。正親町三条家の当主に数えられるが、わずか3歳で卒去。最終官位は従五位下だった。