橘 内蔵介(たちばな くらのすけ、文政3年(1820年) - 明治13年(1880年)11月11日)は、幕末から明治の柳剛流の剣術家・武術家。諱は正以。伊勢国度会郡(現 三重県度会郡南伊勢町)に世古治良左右衛門の二男として生まれる。14歳で紀州藩の飛び地である伊勢国度会郡田丸(現 三重県度会郡玉城町)の紀州藩田丸預同心・橘為右衛門の養子となったが、養子となってすぐに養父母が死ぬ。その後、田丸に住んでいた柳剛流の武術家・直井勝五郎より武術を学ぶ。直井の没後、備前の剣術家・林録之助が訪れたので、自宅に泊め剣術を学んだ。天保15年(1844年)、直井門の兄弟子に......
橘 内蔵介(たちばな くらのすけ、文政3年(1820年) - 明治13年(1880年)11月11日)は、幕末から明治の柳剛流の剣術家・武術家。諱は正以。伊勢国度会郡(現 三重県度会郡南伊勢町)に世古治良左右衛門の二男として生まれる。14歳で紀州藩の飛び地である伊勢国度会郡田丸(現 三重県度会郡玉城町)の紀州藩田丸預同心・橘為右衛門の養子となったが、養子となってすぐに養父母が死ぬ。......