横田 康景/綱松(よこた やすかげ/つなとし))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で足軽大将。『甲陽軍鑑』に拠れば、父は下総国千葉氏の一族で甲斐へ土着し武田氏に使えたという足軽大将原虎胤で、康景は同じく武田家足軽大将である横田高松の婿養子になったという。天文19年(1550年)の砥石城攻め(砥石崩れ)では父・高松が戦死したために、家督を継いで武田晴信(信玄)に仕えた。『軍鑑』によれば足軽大将として騎馬30騎・足軽100人を与えられていたという。永禄10年(1567年)8月に義信事件を受けて信玄が家臣団に提出させた下之郷起請文にその名を連ねている。信玄没後......
横田 康景/綱松(よこた やすかげ/つなとし))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で足軽大将。『甲陽軍鑑』に拠れば、父は下総国千葉氏の一族で甲斐へ土着し武田氏に使えたという足軽大将原虎胤で、康景は同じく武田家足軽大将である横田高松の婿養子になったという。天文19年(1550年)の砥石城攻め(砥石崩れ)では父・高松が戦死したために、家督を継いで武田晴信(信玄)に仕えた。『軍鑑』に......