楠木 正秀(くすのき まさひで、生年不詳 - 文安3年(1446年))は室町時代の武将。次郎。楠木正儀の子とも、正儀の子である正勝の子とも伝わる。南朝方に属し、比叡山僧兵・泰仁親王・越智維通・日野邦氏らと結託して北朝方から三種の神器を奪う(禁闕の変)。鏡と剣は奪い返されたが、残った曲玉を比叡山に持ち込んだ。北朝方から正秀らに朝敵討伐令が出されると、比叡山は北朝方に寝返り、比叡山内にいた泰仁親王・日野有光は攻撃を受け討死。正秀は逃亡した。その後、尊義親王・義有王を奉じ兵を挙げるが、室町幕府方の援軍畠山持国・細川勝元らが率いる3万の大軍に次々と拠点を落とされ、......
楠木 正秀(くすのき まさひで、生年不詳 - 文安3年(1446年))は室町時代の武将。次郎。楠木正儀の子とも、正儀の子である正勝の子とも伝わる。南朝方に属し、比叡山僧兵・泰仁親王・越智維通・日野邦氏らと結託して北朝方から三種の神器を奪う(禁闕の変)。鏡と剣は奪い返されたが、残った曲玉を比叡山に持ち込んだ。北朝方から正秀らに朝敵討伐令が出されると、比叡山は北朝方に寝返り、比叡山内......