楊逵(よう き)は台湾出身の小説家。本名は楊貴。他に伊東亮、公羊、SP、狂人の筆名を使用した。1924年に日本に留学し、日本大学芸術学部文学芸術家の夜間部に進学した。当時日本では労働運動と学生運動の萌芽期であり、楊逵も反田中義一内閣のデモに参加し、また在日朝鮮人の活動を支援し逮捕されている。1927年に台湾に戻った楊逵は農民組合や台湾文化協会の活動に参加した。1932年には日本語小説『送報伕』を発表し小説家としての地位を確立すると同時に、魯迅の『阿Q正伝』など多くの中国新文学小説を日本語に翻訳している。1935年、楊逵は『台湾文芸』の日本語主筆に就任するが......
楊逵(よう き)は台湾出身の小説家。本名は楊貴。他に伊東亮、公羊、SP、狂人の筆名を使用した。1924年に日本に留学し、日本大学芸術学部文学芸術家の夜間部に進学した。当時日本では労働運動と学生運動の萌芽期であり、楊逵も反田中義一内閣のデモに参加し、また在日朝鮮人の活動を支援し逮捕されている。1927年に台湾に戻った楊逵は農民組合や台湾文化協会の活動に参加した。1932年には日本語......