楊 衒之(よう げんし、生没年不詳)は、北魏末から東魏にかけての人。『洛陽伽藍記』の撰者である。詳細な伝記は伝わっていないが、隋の費長房撰『歴代三宝紀』や唐の道宣撰『続高僧伝』、道世撰『法苑珠林』などの記述に拠ると、北魏の期城郡(河南省)の太守であったという。また、『広弘明集』には、北平(河北省)の人で、北魏末の秘書監であったとする。また、現行『洛陽伽藍記』には、北魏の撫軍府司馬という署名が付されている。巻1の永安中(528年 - 530年)の景林寺にまつわる事項の箇所では、その当時、楊衒之自身が、南北朝の頃の起家の官であった奉朝請であったとする記述が見ら......
楊 衒之(よう げんし、生没年不詳)は、北魏末から東魏にかけての人。『洛陽伽藍記』の撰者である。詳細な伝記は伝わっていないが、隋の費長房撰『歴代三宝紀』や唐の道宣撰『続高僧伝』、道世撰『法苑珠林』などの記述に拠ると、北魏の期城郡(河南省)の太守であったという。また、『広弘明集』には、北平(河北省)の人で、北魏末の秘書監であったとする。また、現行『洛陽伽藍記』には、北魏の撫軍府司馬......