楊 昌濬(よう しょうしゅん、''Yang Changjun''、1825年 - 1897年)は、清末の官僚。字は石泉。湖南省湘郷出身。太平天国の乱が起こると、師であった羅沢南に従って団練を組織し、湖北省に援軍に赴き訓導に任命され江西省・安徽省を転戦、知県に昇進した。同治元年(1862年)、左宗棠軍に属して浙江省に入り、李世賢を破り、衢州府知府に任ぜられた。その後湖州を奪回し、浙江省西部を平定し、塩運使、浙江布政使と昇進を重ねた。同治9年(1870年)に浙江巡撫に任命され7年在任、光緒4年(1878年)、左宗棠のヤクブ・ベクの乱鎮圧の補佐にあたり、光緒6年......
楊 昌濬(よう しょうしゅん、''Yang Changjun''、1825年 - 1897年)は、清末の官僚。字は石泉。湖南省湘郷出身。太平天国の乱が起こると、師であった羅沢南に従って団練を組織し、湖北省に援軍に赴き訓導に任命され江西省・安徽省を転戦、知県に昇進した。同治元年(1862年)、左宗棠軍に属して浙江省に入り、李世賢を破り、衢州府知府に任ぜられた。その後湖州を奪回し、浙......