植松 有信(うえまつ ありのぶ、1759年1月2日 - 1813年7月17日)は、江戸時代後期の国学者、板木師。尾張藩士の家に生まれたが、父が解任されたため、板木師として生計を立てた。本居宣長『古事記伝』等の出版に関わり、宣長門下で構成されるいわゆる名古屋社中の世話役を務めた。養子植松茂岳は尾張藩士に復帰し、明倫堂教授を務めた。
植松 有信(うえまつ ありのぶ、1759年1月2日 - 1813年7月17日)は、江戸時代後期の国学者、板木師。尾張藩士の家に生まれたが、父が解任されたため、板木師として生計を立てた。本居宣長『古事記伝』等の出版に関わり、宣長門下で構成されるいわゆる名古屋社中の世話役を務めた。養子植松茂岳は尾張藩士に復帰し、明倫堂教授を務めた。