森 忠継(もり ただつぐ、寛永14年(1637年) - 延宝2年2月28日(1674年4月4日))は、美作津山藩の世嗣。2代藩主・森長継の長男。母は池田長幸の娘・お鶴(大御前)。正室は小笠原長次の娘。子は森長成(三男)。官位は従四位下、美作守。嫡子として生まれ、正保2年(1645年)に将軍徳川家光に拝謁した。承応3年(1654年)叙任。4代将軍徳川家継の時に朝鮮使節の来朝があり、御用掛となった老中阿部忠秋は前例の記録が明暦大火で焼失してしまったため、江戸にいる諸藩の留守居役に対して当時の記録を書き出すように命じるが、忠継は、一時に多数集まることで混乱する事......
森 忠継(もり ただつぐ、寛永14年(1637年) - 延宝2年2月28日(1674年4月4日))は、美作津山藩の世嗣。2代藩主・森長継の長男。母は池田長幸の娘・お鶴(大御前)。正室は小笠原長次の娘。子は森長成(三男)。官位は従四位下、美作守。嫡子として生まれ、正保2年(1645年)に将軍徳川家光に拝謁した。承応3年(1654年)叙任。4代将軍徳川家継の時に朝鮮使節の来朝があり、......