森 忠徳(もり ただのり)は、播磨赤穂藩の第10代藩主。赤穂藩森家16代。文化15年(1818年)3月24日、第9代藩主・森忠敬の三男として生まれる。父の死後、家督は兄の忠貫が継いでいたが、文政10年(1827年)5月に早世した。忠貫には嗣子が無く、藩では改易や減封を恐れて6月に忠徳を忠貫の替え玉(表向きは同一人物)として擁立した。そのため記録上では、文政7年(1824年)8月5日に家督を継いだことにされている。天保3年(1832年)12月26日、従五位下・信濃守に叙位・任官する。若年のため、分家の森主税家出身の家老・森可真が藩政を行い、緊縮財政政策を採用......
森 忠徳(もり ただのり)は、播磨赤穂藩の第10代藩主。赤穂藩森家16代。文化15年(1818年)3月24日、第9代藩主・森忠敬の三男として生まれる。父の死後、家督は兄の忠貫が継いでいたが、文政10年(1827年)5月に早世した。忠貫には嗣子が無く、藩では改易や減封を恐れて6月に忠徳を忠貫の替え玉(表向きは同一人物)として擁立した。そのため記録上では、文政7年(1824年)8月5......