梅溪 季通(うめたに すえみち、慶長20年3月29日(1615年4月26日) - 万治元年2月2日(1658年3月5日))は、江戸時代前期の公卿。久我家の分流である公家梅溪家の祖。後水尾天皇(108代)から後西天皇(111代)にいたる四帝にわたって仕え、官位は従三位参議まで進んだ。父は左近衛中将久我通世。母は不詳。子息に権中納言梅溪英通がいる。娘に旗本神保茂清室(多古藩主松平勝以の養女)がいる。寛永元年(1624年)に叙爵。寛永6年(1629年)には勘解由次官に任じられる。寛永20年(1643年)に左近衛少将。正保2年(1645年)には参議となり、公卿に列......
梅溪 季通(うめたに すえみち、慶長20年3月29日(1615年4月26日) - 万治元年2月2日(1658年3月5日))は、江戸時代前期の公卿。久我家の分流である公家梅溪家の祖。後水尾天皇(108代)から後西天皇(111代)にいたる四帝にわたって仕え、官位は従三位参議まで進んだ。父は左近衛中将久我通世。母は不詳。子息に権中納言梅溪英通がいる。娘に旗本神保茂清室(多古藩主松平勝以......