桜井知達(さくらい ちたつ、寛政9年(1797年) - 文化11年(1814年))は、江戸時代の囲碁棋士。七世安井仙角仙知門下。本因坊丈和、井上幻庵因碩と角錐するが、18歳で夭逝。本因坊丈和は10歳年長で、丈和が22歳の文化6年(1809年)から先番での棋譜が残されている。15歳二段の文化8年(1811)年からは1歳年少の井上幻庵因碩(服部立徹)と、因碩先番から始まって数多く対局し、因碩は初手合から1年で先相先、その半年後には互先と迫り、1813年10月から翌年1月にかけての最終局まで、因碩の『奕図』に収められた98局のうち44局が知達との対局になっている......
桜井知達(さくらい ちたつ、寛政9年(1797年) - 文化11年(1814年))は、江戸時代の囲碁棋士。七世安井仙角仙知門下。本因坊丈和、井上幻庵因碩と角錐するが、18歳で夭逝。本因坊丈和は10歳年長で、丈和が22歳の文化6年(1809年)から先番での棋譜が残されている。15歳二段の文化8年(1811)年からは1歳年少の井上幻庵因碩(服部立徹)と、因碩先番から始まって数多く対局......