桑折 宗臣(こおり むねしげ、寛永11年12月21日(1635年2月8日) - 貞享3年3月3日(1686年3月26日))は、江戸時代の俳人、歌人。宇和島藩家老で、藩主伊達秀宗の四男。百助、親左衛門。妻は宍戸定清の娘。寛永17年(1640年)に桑折宗頼の養子となり、承応元年(1652年)に家老職に就任する。寛文4年(1664年)頃に家老職を義弟の宗邑に譲り、隠居する。俳諧は北村季吟を師とした。このように、家老職にあったものの実働期間は短く、若くして隠居しているため、文化人としての活躍が目立ち、多くの著書を残している。墓所は、愛媛県宇和島市の等覚寺。
桑折 宗臣(こおり むねしげ、寛永11年12月21日(1635年2月8日) - 貞享3年3月3日(1686年3月26日))は、江戸時代の俳人、歌人。宇和島藩家老で、藩主伊達秀宗の四男。百助、親左衛門。妻は宍戸定清の娘。寛永17年(1640年)に桑折宗頼の養子となり、承応元年(1652年)に家老職に就任する。寛文4年(1664年)頃に家老職を義弟の宗邑に譲り、隠居する。俳諧は北村季......