桂 藤龍(かつら とうりゅう、生没年不詳、1625年頃? - 明治末期)は、落語家。本名は石川 忠二郎。初代柳亭左龍の門で龍童、1891年、1892年頃、4代目三遊亭圓生?の門で圓輔、翌年頃から巡業が多くなり巡業先の京都で3代目宝集家金之助(笹川たみ)の門で海立亭龍門、またその翌年、3代目桂藤兵衛の門で籐龍と改名した。京都新京極の寄席「笑福亭」に最初に現れたのは1892年5月頃。昼間は自宅で仕立物職、夜は寄席で高座にあがる2足のわらじをしていた。芸は落語よりも色物色が強く端唄、手踊りを売り物にしていた。藤兵衛が藤明派を結成したときも真っ先に参加したが、解散......
桂 藤龍(かつら とうりゅう、生没年不詳、1625年頃? - 明治末期)は、落語家。本名は石川 忠二郎。初代柳亭左龍の門で龍童、1891年、1892年頃、4代目三遊亭圓生?の門で圓輔、翌年頃から巡業が多くなり巡業先の京都で3代目宝集家金之助(笹川たみ)の門で海立亭龍門、またその翌年、3代目桂藤兵衛の門で籐龍と改名した。京都新京極の寄席「笑福亭」に最初に現れたのは1892年5月頃。......