桂川 甫周(かつらがわ ほしゅう、1826年(文政9年)- 1881年(明治14年)9月25日)は、江戸時代幕末期の奥医師及び蘭学者。桂川家の7代目当主。諱は国興(くにおき)であり、甫周は通称。父は6代目当主の桂川甫賢。蘭和辞典『ドゥーフ・ハルマ』をもとに『和蘭字彙』を刊行した。なお、『解体新書』翻訳に関わり『北槎聞略』を編纂した桂川甫周(国瑞)は、桂川家4代目である。
桂川 甫周(かつらがわ ほしゅう、1826年(文政9年)- 1881年(明治14年)9月25日)は、江戸時代幕末期の奥医師及び蘭学者。桂川家の7代目当主。諱は国興(くにおき)であり、甫周は通称。父は6代目当主の桂川甫賢。蘭和辞典『ドゥーフ・ハルマ』をもとに『和蘭字彙』を刊行した。なお、『解体新書』翻訳に関わり『北槎聞略』を編纂した桂川甫周(国瑞)は、桂川家4代目である。