桂 助六(かつら すけろく、1881年 - 没年不詳・1930年、1年頃)は、上方噺家。本名は日高 定治。噺家になる前はスリをやっていたという。後に初代桂ざこば(当時桂三輔)の門下になり輔六を名乗った。陣容の整っていない反対派に身を置き幹部格にまで収まった。師匠のざこばが噺家を廃業に伴い師匠の名・2代目三輔を1916年に継ぐことになるが師匠が噺家を復帰した為、1921年頃、助六と改める。当時寄席では警察が臨検をやっていて為、その眼を潜めて「餅搗」「お玉牛」等の下掛かった落語をこってりと演じ卑猥落語で名を売った。後に密告され口演中取り押えられお上多数参列の前......
桂 助六(かつら すけろく、1881年 - 没年不詳・1930年、1年頃)は、上方噺家。本名は日高 定治。噺家になる前はスリをやっていたという。後に初代桂ざこば(当時桂三輔)の門下になり輔六を名乗った。陣容の整っていない反対派に身を置き幹部格にまで収まった。師匠のざこばが噺家を廃業に伴い師匠の名・2代目三輔を1916年に継ぐことになるが師匠が噺家を復帰した為、1921年頃、助六と......