桂 三木丸(かつら みきまる、1886年 - 1940年4月19日)は、上方噺家。本名: 大久保 挙母(または阿波挙母)。父は噺家の桂藤誠、弟は堺で幇間の五郎八、妻は女義太夫の東馬八という芸人一家。最初桂仁左衛門の門下で桂仁鶴という。1915年、1916年頃、父の前名であった桂文如、1922年頃に4代目笑福亭松鶴の門で2代目笑福亭仁鶴、1926年頃に兄弟子の2代目桂三木助の門で桂三木丸となった。性格は子供がそのまま噺家になったような生活で、欲がなく、良い位置には上れなかった。晩年は漫才の寄席のヘタリをしていた。十八番は「曽我の十八斬」だったという。
桂 三木丸(かつら みきまる、1886年 - 1940年4月19日)は、上方噺家。本名: 大久保 挙母(または阿波挙母)。父は噺家の桂藤誠、弟は堺で幇間の五郎八、妻は女義太夫の東馬八という芸人一家。最初桂仁左衛門の門下で桂仁鶴という。1915年、1916年頃、父の前名であった桂文如、1922年頃に4代目笑福亭松鶴の門で2代目笑福亭仁鶴、1926年頃に兄弟子の2代目桂三木助の門で桂......