根本 武夷(ねもと ぶい、元禄12年(1699年) - 明和元年11月2日(1764年11月24日))は江戸時代中期の儒学者。名は遜志、字は伯修(脩)、通称は右衛門八、八右衛門。荻生徂徠門下にあり、山井崑崙と共に『七経孟子攷文』を手がけ、また『論語集解義疏』を校刊、これらは清で高い評価を得た。
根本 武夷(ねもと ぶい、元禄12年(1699年) - 明和元年11月2日(1764年11月24日))は江戸時代中期の儒学者。名は遜志、字は伯修(脩)、通称は右衛門八、八右衛門。荻生徂徠門下にあり、山井崑崙と共に『七経孟子攷文』を手がけ、また『論語集解義疏』を校刊、これらは清で高い評価を得た。