栂野和泉守(とがの いずみのかみ、生年不詳 - 文明3年9月11日(1471年10月24日))は室町時代中期の武将である。通称を和泉守と言い、実名は不詳。栂野氏は、越前朝倉氏譜代の家臣であり、一乗谷の北西に位置する足羽川右岸の和田庄内・栂野村を出自とする地侍。和泉守は、朝倉孝景(英林孝景)に仕え、越前平定に貢献した。孝景が文明3年9月11日に池田荘の池田勘解由左右衛門尉を攻めた際に討ち死にした。なお和泉守の子孫であると思われる栂野吉仍(よしのり)は、朝倉義景の側近奏者、奉行衆として重用され、永禄5年(1562年)に行われた曲水の宴では詩歌を披露している。元......
栂野和泉守(とがの いずみのかみ、生年不詳 - 文明3年9月11日(1471年10月24日))は室町時代中期の武将である。通称を和泉守と言い、実名は不詳。栂野氏は、越前朝倉氏譜代の家臣であり、一乗谷の北西に位置する足羽川右岸の和田庄内・栂野村を出自とする地侍。和泉守は、朝倉孝景(英林孝景)に仕え、越前平定に貢献した。孝景が文明3年9月11日に池田荘の池田勘解由左右衛門尉を攻めた際......