柳水亭種清(りゅうすいてい たねきよ、1821年(文政4年) - 1907年(明治40年3月))は、江戸から明治時代にかけての戯作者。飛騨国高山の生まれ。6、7歳の頃に越後に行って、両親と別れて遊行上人に伴われて江戸へ上り、浅草の日輪寺に入る。ここで役僧にまでなるが、1850年(嘉永3年)に不始末で寺を追われて河竹黙阿弥の門に入り、翌年能晋輔の名で顔見世する。その後安政になって戯作者柳下亭種員の門に入り、種清と名乗る。この頃「正本写(しょうほんうつし)」という、上演された芝居を元にした草双紙の合巻によって人気を得た。また淫水亭の名で多くの春本を出していた。......
柳水亭種清(りゅうすいてい たねきよ、1821年(文政4年) - 1907年(明治40年3月))は、江戸から明治時代にかけての戯作者。飛騨国高山の生まれ。6、7歳の頃に越後に行って、両親と別れて遊行上人に伴われて江戸へ上り、浅草の日輪寺に入る。ここで役僧にまでなるが、1850年(嘉永3年)に不始末で寺を追われて河竹黙阿弥の門に入り、翌年能晋輔の名で顔見世する。その後安政になって戯......