画像引用元: rakugo-channel.tsuvasa.com柳家三好
推定知名度1.83%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
柳家 三好(やなぎや さんこう)は、落語家の名。過去に三遊亭三好を含めると4人確認されている。*三遊亭三好 - のちの2代目鈴々舎馬風。*三遊亭三好 - のちの初代三遊亭三福。(三橋亀太郎)*三遊亭三好 - 3代目柳亭左楽?の門で左伊造(または左イ蔵)といい後に初代三遊亭遊三の門に入る。1894年の名簿には三好となり、明治30年代には好三となる。1911年の名簿まで見えるが終わりは不明。上方の三遊亭圓子は実の兄とも弟ともいわれる。(関利三郎)*2代目 橘家のちに柳家三好 - 本項にて詳細。*柳家三好 - 後の2代目柳家三語楼。----2代目柳家 三好(やなぎや さんこう、1854年(嘉永7年)9月 - 没年不詳)は、落語家、音曲師。本名、中田宗太郎。実子は4代目橘家圓好。初め明治初年ころ、坐り踊りの名人といわれた夢輔(後の初代橘家圓三郎、五十嵐銀次郎)の門で朝寝坊?小夢から小圓三、1886年ころ、4代目三遊亭圓生の門で三遊亭圓三、1889年、90年ころ、3代目三遊亭圓好を経て1891年に2代目三好となる。1912年には最初の師匠の名前、立花家ないし浮世夢輔を名乗る。1913年に3代目柳家小さんの身内で柳家三好に復名。明治末から大正期にかけて音曲師として4代目橘家圓喬の膝がわりで評価を受ける。関東大震災ころまで活動していたがその後引退。6代目三遊亭圓生によると1929年、30年ころまで健在だったという。眼がくぼんでいたため「うしろめの三好」と言われ、自身も『私の目玉は年々引込んで参りまして、今に後ろの方に出てしまいましょう。そうしたら所帯を神楽坂で持ちますよ。それ、うしろ眼(牛込)の神楽坂』と枕で言っていたそうである。
過去の推移
–06
1.1107
2.3408
2.2609
2.0310
2.0311
2.0312
2.0313
2.0314
2.0315
1.8316
