柏木 義兼(かしわぎ よしかね、生没年不詳)は平安時代末期の武将。新羅三郎義光の系譜を引く近江源氏。父は山本義定。兄は山本義経(源頼朝の弟の源義経とは同名の別人)。治承・寿永の乱の初期に兄義経とともに近江国で挙兵した。出家して甲賀入道を名乗る。『吉記』、『源平盛衰記』によると法名は成覚。治承4年(1180年)11月21日、諸国の源氏の旗上に同調して、兄の山本義経とともに近江国の勢多・野路で挙兵。義経と義兼は琵琶湖をおさえて北陸道からの年貢を止め、水軍をもって三井寺に討ち入り、寺々に押し入った。九条兼実の『玉葉』は、義兼は左右なく(京へ?)打ち入ろうと欲する......
柏木 義兼(かしわぎ よしかね、生没年不詳)は平安時代末期の武将。新羅三郎義光の系譜を引く近江源氏。父は山本義定。兄は山本義経(源頼朝の弟の源義経とは同名の別人)。治承・寿永の乱の初期に兄義経とともに近江国で挙兵した。出家して甲賀入道を名乗る。『吉記』、『源平盛衰記』によると法名は成覚。治承4年(1180年)11月21日、諸国の源氏の旗上に同調して、兄の山本義経とともに近江国の勢......