画像引用元: kyanuma.web.fc2.com柏木源藤
推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
柏木 源藤(かしわぎ げんとう / もとひさ、天正7年(1579年) - 没年不詳)は安土桃山時代の薩摩国島津氏の陪臣で、川上忠兄の被官。後に出石氏を名乗る。一部史料にある柏田源蔵は誤り。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍に属した島津義弘の元へ主君・忠兄に同行し参陣した。その退却戦(関ヶ原の戦い#西軍敗走|島津の退き口)の際に東軍の井伊直政勢100騎が追撃して来たところを、源藤は藪の中から鉄砲を放ち、直政を狙撃して落馬させる大功を上げた(直政はこのときの傷が癒えず、慶長7年(1602年)に死去)。源藤は無事に薩摩国へ戻り、義弘の隠居所のある加治木(現・鹿児島県姶良市加治木町)に住んだが、その後は逼迫して町人になった上に、子孫も断絶したと『本藩人物誌』にある。『旧南林寺由緒墓志』によると、自らが狙撃した直政の死を知り、その弔いの為に墨染の法衣を纏い、回国修行に出たが帰らぬままとなり、死去した地も判らないという。法名は「武山丈心居士」。明和6年(1769年)に建立された墓が、鹿児島の南林寺 (鹿児島市)|南林寺にある。
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