林 柏栄門入(はやし はくえいもんにゅう、1805年(文化2年) - 1864年(元治元年)11月18日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元林家の十二世林門入、七段。十一世林元美の子で、元の名は柏悦、後に柏栄に改める。御城碁では最後の対局となる1863年(文久3年)まで、本因坊烈元に次ぐ35局を務めた。「力段に及ばず」と評されたが、早碁を得意とした。
林 柏栄門入(はやし はくえいもんにゅう、1805年(文化2年) - 1864年(元治元年)11月18日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元林家の十二世林門入、七段。十一世林元美の子で、元の名は柏悦、後に柏栄に改める。御城碁では最後の対局となる1863年(文久3年)まで、本因坊烈元に次ぐ35局を務めた。「力段に及ばず」と評されたが、早碁を得意とした。