板倉 勝弼(いたくら かつすけ、弘化3年5月6日(1846年5月30日) - 明治29年(1896年)10月21日)は、備中松山藩(高梁藩)の第8代(最後)の藩主、子爵。板倉家宗家14代。第4代藩主板倉勝政の十一男・板倉勝喬の四男。母は石田氏。正室は掛川藩主・太田資功の娘。側室に森嶋氏。子は板倉勝功(長男)、板倉勝貞(次男)。官位は従五位、のち正四位。
板倉 勝弼(いたくら かつすけ、弘化3年5月6日(1846年5月30日) - 明治29年(1896年)10月21日)は、備中松山藩(高梁藩)の第8代(最後)の藩主、子爵。板倉家宗家14代。第4代藩主板倉勝政の十一男・板倉勝喬の四男。母は石田氏。正室は掛川藩主・太田資功の娘。側室に森嶋氏。子は板倉勝功(長男)、板倉勝貞(次男)。官位は従五位、のち正四位。