板倉 勝尚(いたくら かつなお)は、上野安中藩の第4代藩主。重形系板倉家6代。諱は「かつひさ」とも。天明5年(1785年)、備中松山藩第4代藩主板倉勝政の五男として生まれ、安中藩第3代藩主板倉勝意の養子となる。文化元年12月、将軍徳川家斉に拝謁する。文化2年(1805年)5月12日、養父の死去により跡を継いだ。教養に造詣の深い藩主であり、文化5年(1808年)3月には藩校・造士館を創設する。また、勝尚自身の著作も「悼山吟草」や「水雲問答」など、多数残されている。藩政においては、藩財政再建のために倹約を行なっている。文化7年9月、奏者番に就任する。文政3年(......
板倉 勝尚(いたくら かつなお)は、上野安中藩の第4代藩主。重形系板倉家6代。諱は「かつひさ」とも。天明5年(1785年)、備中松山藩第4代藩主板倉勝政の五男として生まれ、安中藩第3代藩主板倉勝意の養子となる。文化元年12月、将軍徳川家斉に拝謁する。文化2年(1805年)5月12日、養父の死去により跡を継いだ。教養に造詣の深い藩主であり、文化5年(1808年)3月には藩校・造士館......