松田 憲秀(まつだ のりひで、生年不詳- 天正18年6月16日(1590年7月17日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。松田盛秀(顕秀)の嫡男。子に笠原政晴(政尭)、松田直秀(北条氏直より偏諱を賜う、諱は直定・秀治とも、後に憲秀の一字を受け憲定に改名)。娘は松田殿(北条氏康の側室)、内藤綱秀の子・直行の妻。左衛門佐、後に尾張守を称した。
松田 憲秀(まつだ のりひで、生年不詳- 天正18年6月16日(1590年7月17日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。松田盛秀(顕秀)の嫡男。子に笠原政晴(政尭)、松田直秀(北条氏直より偏諱を賜う、諱は直定・秀治とも、後に憲秀の一字を受け憲定に改名)。娘は松田殿(北条氏康の側室)、内藤綱秀の子・直行の妻。左衛門佐、後に尾張守を称した。