松浦 弘定(まつら ひろさだ)は、戦国時代の肥前国の武将。松浦豊久の次男。父から家督を継ぎ平戸松浦氏23代目となった弘定は、平戸西部の津吉氏を討伐し、生月の加藤氏、一部氏、山田氏を降し、生月島や北松浦半島に勢力を拡大していった。文明18年(1486年)、峯氏の治める田平の地を巡り峯氏へ養子へ入った兄・昌と対立した弘定は昌の拠る里城を攻撃し、昌は有馬氏の元へ逃亡、これにより弘定は田平の地を手中に治めた。また、弘定は、この間、御厨氏家中の混乱に乗じて御厨祐忠父子を追い、御厨を領有している。延徳3年(1491年)、弘定の攻撃を受け敗れ、田平を奪われた昌から支援の......
松浦 弘定(まつら ひろさだ)は、戦国時代の肥前国の武将。松浦豊久の次男。父から家督を継ぎ平戸松浦氏23代目となった弘定は、平戸西部の津吉氏を討伐し、生月の加藤氏、一部氏、山田氏を降し、生月島や北松浦半島に勢力を拡大していった。文明18年(1486年)、峯氏の治める田平の地を巡り峯氏へ養子へ入った兄・昌と対立した弘定は昌の拠る里城を攻撃し、昌は有馬氏の元へ逃亡、これにより弘定は田......