松浦 定(まつら さだむ)は、安土桃山時代の武将。肥前国飯森城主。松浦親の嫡男として元亀2年(1571年)に誕生。天正2年(1574年)、父・親の死去に伴い相神浦松浦氏18代目を継ぐ。同14年(1586年)から同15年(1587年)に掛けて行われた豊臣秀吉の九州平定に従軍した。その後、松浦氏の人質として堺へ行き、その地で3年間過ごす中、豊臣氏へ奉公に出ていた秋月種実の五女を娶る。文禄元年(1593年)、文禄の役に松浦鎮信に従い従軍するも平壌で討ち死にを遂げた。子孫は徳川幕府に旗本として取り立てられ、代々江戸に居住した。
松浦 定(まつら さだむ)は、安土桃山時代の武将。肥前国飯森城主。松浦親の嫡男として元亀2年(1571年)に誕生。天正2年(1574年)、父・親の死去に伴い相神浦松浦氏18代目を継ぐ。同14年(1586年)から同15年(1587年)に掛けて行われた豊臣秀吉の九州平定に従軍した。その後、松浦氏の人質として堺へ行き、その地で3年間過ごす中、豊臣氏へ奉公に出ていた秋月種実の五女を娶る。......