松波 正春(まつなみ まさはる、寛文5年(1665年) - 延享元年6月2日(1744年7月11日))は、江戸時代中期の旗本。通称は勘四郎・三郎兵衛・甚兵衛。官名は筑後守。書院番三宅政広の3男。『寛政重修諸家譜』に収める松波家の系譜によれば、戦国大名斎藤道三(前名・松波庄九郎)の子、松波政綱の子孫だという。
松波 正春(まつなみ まさはる、寛文5年(1665年) - 延享元年6月2日(1744年7月11日))は、江戸時代中期の旗本。通称は勘四郎・三郎兵衛・甚兵衛。官名は筑後守。書院番三宅政広の3男。『寛政重修諸家譜』に収める松波家の系譜によれば、戦国大名斎藤道三(前名・松波庄九郎)の子、松波政綱の子孫だという。