松殿 道基(まつどの みちもと、慶長20年2月17日 (1615年3月16日) - 正保3年6月12日 (1646年7月24日))は、江戸時代前期の公卿。関白九条幸家の三男。母は豊臣完子。幼名は千世鶴。後に名を道昭と改める。婚約者は徳川頼房の娘。松殿家を再興して1642年(寛永19年)に従三位、次いで正二位権大納言に叙せられたが、1646年(正保3年)に32歳の若さで薨去し、松殿家は1代で再び断絶した。
松殿 道基(まつどの みちもと、慶長20年2月17日 (1615年3月16日) - 正保3年6月12日 (1646年7月24日))は、江戸時代前期の公卿。関白九条幸家の三男。母は豊臣完子。幼名は千世鶴。後に名を道昭と改める。婚約者は徳川頼房の娘。松殿家を再興して1642年(寛永19年)に従三位、次いで正二位権大納言に叙せられたが、1646年(正保3年)に32歳の若さで薨去し、松殿......