松平 忠栄(まつだいら ただひで、寛永17年(1640年) - ?)は、丹波亀山藩の嫡子。播磨国明石藩主・松平忠国の五男。母は戸田氏鉄の娘。娘は加藤明治室。官位は従五位下、図書頭。従兄弟の忠俊が早世したため、万治2年(1659年)に叔父の亀山藩主・松平忠晴の養子となり徳川家綱に初御目見するが、寛文6年(1666年)に廃嫡された。代わって、忠晴の次男・忠昭が嫡子となり、のち家督を継いだ。たたひてCategory:廃嫡された人物Category:江戸時代の大名の嫡男Category:丹波亀山藩の人物Category:1640年生Category:没年不明
松平 忠栄(まつだいら ただひで、寛永17年(1640年) - ?)は、丹波亀山藩の嫡子。播磨国明石藩主・松平忠国の五男。母は戸田氏鉄の娘。娘は加藤明治室。官位は従五位下、図書頭。従兄弟の忠俊が早世したため、万治2年(1659年)に叔父の亀山藩主・松平忠晴の養子となり徳川家綱に初御目見するが、寛文6年(1666年)に廃嫡された。代わって、忠晴の次男・忠昭が嫡子となり、のち家督を継......