松平 忠寿(まつだいら ただひさ、明治15年(1882年)1月 - 昭和57年(1982年)7月7日)は明治時代から昭和時代の華族、海軍軍人。海兵31期を卒業。忍藩最後の藩主松平忠敬の長男で奥平松平家14代当主。子爵、貴族院議員。尚友会倶楽部理事長。夫人は奥田義人の娘咲子。藤光曜(真宗出雲路派管主)の妹都和子と再婚した。子に松平忠晃、柳原承光がいる。日露戦争に海軍少尉として出征。「八島」、「日進」、「台中丸」乗組みとして従軍した。艦政本部部員、横須賀軍需部第一課長、「榛名」副長などを務め、昭和3年(1928年)海軍大佐で予備役となる。昭和7年(1932年)......
松平 忠寿(まつだいら ただひさ、明治15年(1882年)1月 - 昭和57年(1982年)7月7日)は明治時代から昭和時代の華族、海軍軍人。海兵31期を卒業。忍藩最後の藩主松平忠敬の長男で奥平松平家14代当主。子爵、貴族院議員。尚友会倶楽部理事長。夫人は奥田義人の娘咲子。藤光曜(真宗出雲路派管主)の妹都和子と再婚した。子に松平忠晃、柳原承光がいる。日露戦争に海軍少尉として出征。......