松平 忠倫(まつだいら ただみち、明暦3年(1657年) - 享保3年8月20日(1718年9月14日))は、肥前島原藩の世嗣。初代島原藩主・松平忠房の次男。正室は本多忠義の娘。官位は従五位下、右京亮。兄の好房が早世したため嫡子となる。延宝2年(1674年)徳川家綱に御目見し叙任するが、不行跡のため貞享3年(1686年)に廃嫡された。代わって、分家の旗本深溝松平家から忠雄が養子に迎えられ嫡子となった。享保3年(1718年)、62歳で没した。たたみちCategory:廃嫡された人物Category:江戸時代の大名の嫡男Category:島原藩の人物Categ......
松平 忠倫(まつだいら ただみち、明暦3年(1657年) - 享保3年8月20日(1718年9月14日))は、肥前島原藩の世嗣。初代島原藩主・松平忠房の次男。正室は本多忠義の娘。官位は従五位下、右京亮。兄の好房が早世したため嫡子となる。延宝2年(1674年)徳川家綱に御目見し叙任するが、不行跡のため貞享3年(1686年)に廃嫡された。代わって、分家の旗本深溝松平家から忠雄が養子に......