松平 定寅(まつだいら さだとら、寛保2年(1742年) - 寛政8年9月7日(1796年9月26日))は、江戸幕府の旗本。松平定蔵の子。子に花菖蒲の育種家で有名な松平定朝がいる。左金吾、織部。初名定浄(さだもと)、家督相続前は定虎。室は森可敦の娘。明和2年(1765年)、兄松平定栄(さだなが)が病床にあり、将軍にお目見えをし父の生前に嫡男となる。この年に兄が没している。明和8年(1771年)父が没した為、家督を継ぎ寄合に列する。天明8年(1788年)9月28日、先手鉄砲組組頭(筒組8番)となる。10月6日に火付盗賊改方加役(助役)を務める。なお、加役は本......
松平 定寅(まつだいら さだとら、寛保2年(1742年) - 寛政8年9月7日(1796年9月26日))は、江戸幕府の旗本。松平定蔵の子。子に花菖蒲の育種家で有名な松平定朝がいる。左金吾、織部。初名定浄(さだもと)、家督相続前は定虎。室は森可敦の娘。明和2年(1765年)、兄松平定栄(さだなが)が病床にあり、将軍にお目見えをし父の生前に嫡男となる。この年に兄が没している。明和8年......