松平 信孝(まつだいら のぶたか、? - 天文17年4月15日(1548年5月22日))は、戦国時代の武将。三河国松平氏6代当主松平信忠の子。兄に松平清康、弟に松平康孝。子に松平重忠。蔵人佐。通称は与十郎。械(合歓木)松平家初代当主。三木松平家初代として扱う文献も多い。兄・清康が家臣に殺害された(森山崩れ)後にその子松平広忠が家督を継ぐも、大叔父(信孝にとっては叔父)の松平信定によって岡崎城から追放された。信孝は広忠を援助して帰城させ後見役となったが、次第に弟・康孝の旧領・三木を横領するなど権勢を振るうようになり、広忠や家臣達と対立して失脚。その後、広忠の......
松平 信孝(まつだいら のぶたか、? - 天文17年4月15日(1548年5月22日))は、戦国時代の武将。三河国松平氏6代当主松平信忠の子。兄に松平清康、弟に松平康孝。子に松平重忠。蔵人佐。通称は与十郎。械(合歓木)松平家初代当主。三木松平家初代として扱う文献も多い。兄・清康が家臣に殺害された(森山崩れ)後にその子松平広忠が家督を継ぐも、大叔父(信孝にとっては叔父)の松平信定に......