松孝院(しょうこういん、慶長19年(1614年) - 元禄3年9月19日(1690年10月20日))は、駿府藩主・徳川忠長の正室。本名は織田昌子。幼少の頃は久姫と呼ばれていた。法名については『徳川諸家系譜』の「松孝院」と『幕府祚胤伝』の「光松院」の2説があるが、本記事では「松孝院」を用いる。
松孝院(しょうこういん、慶長19年(1614年) - 元禄3年9月19日(1690年10月20日))は、駿府藩主・徳川忠長の正室。本名は織田昌子。幼少の頃は久姫と呼ばれていた。法名については『徳川諸家系譜』の「松孝院」と『幕府祚胤伝』の「光松院」の2説があるが、本記事では「松孝院」を用いる。