東皐心越(とうこう しんえつ、崇禎12年(1639年) - 元禄9年9月30日(1696年10月25日))は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。俗姓は蔣、名は初め兆隠のちに興儔、心越は字、東皐は号で別号に樵雲・越道人がある。詩文・書画・篆刻など中国の文人文化、なかんずく文人の楽器である古琴を日本に伝え、日本の琴楽の中興の祖とされる。また独立性易とともに日本篆刻の祖とされる。
東皐心越(とうこう しんえつ、崇禎12年(1639年) - 元禄9年9月30日(1696年10月25日))は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。俗姓は蔣、名は初め兆隠のちに興儔、心越は字、東皐は号で別号に樵雲・越道人がある。詩文・書画・篆刻など中国の文人文化、なかんずく文人の楽器である古琴を日本に伝え、日本の琴楽の中興の祖とされる。また独立性易とともに日本篆刻の祖とされる。