東園 基敬(ひがしその もとゆき、文政3年10月23日(1820年11月28日) - 明治16年(1883年)5月24日)は幕末から明治時代にかけての公卿。従三位右中将。参議。安政勤王八十八廷臣の1人。父は東園基貞。母は芝山国豊の娘。娘の1人に水無瀬忠輔の妻である富子。その富子の娘は皇族の久邇宮多嘉王妻である静子。
東園 基敬(ひがしその もとゆき、文政3年10月23日(1820年11月28日) - 明治16年(1883年)5月24日)は幕末から明治時代にかけての公卿。従三位右中将。参議。安政勤王八十八廷臣の1人。父は東園基貞。母は芝山国豊の娘。娘の1人に水無瀬忠輔の妻である富子。その富子の娘は皇族の久邇宮多嘉王妻である静子。