来 歙(らい きゅう、? - 35年)は、中国の新代から後漢時代初期の武将。後漢草創期の功臣である。字は君叔。荊州南陽郡新野県(河南省新野県)の人。武帝時代に光禄大夫を務めた来漢の6世の子孫。父は、哀帝時代に諫大夫を務めた来仲。また、来仲の妻は、光武帝(劉秀)の祖父の姉妹である。妹の夫は劉嘉。弟は来由。子は来褒。
来 歙(らい きゅう、? - 35年)は、中国の新代から後漢時代初期の武将。後漢草創期の功臣である。字は君叔。荊州南陽郡新野県(河南省新野県)の人。武帝時代に光禄大夫を務めた来漢の6世の子孫。父は、哀帝時代に諫大夫を務めた来仲。また、来仲の妻は、光武帝(劉秀)の祖父の姉妹である。妹の夫は劉嘉。弟は来由。子は来褒。