杜鳳楊(と ほうよう、''Du Fengyang''、1848年 ‐ 1870年)は、清末に雲南で起こった回族反乱(パンゼーの乱)の指導者杜文秀の長女。杜鳳英とも書く。蔡廷棟の妻であったので蔡杜氏とも呼ばれる。杜文秀は1856年に雲南での回民蜂起を指導し大理をはじめ多くの都市を手中に収めており、1867年に昆明に向けて40万の大軍を派遣した。杜鳳楊は幼いころより父親に従って軍中にあって、知勇を知られていた。昆明遠征にあたって杜鳳楊は監軍に任命された。また一説には総司令官であったともいう。遠征軍は昆明に迫ったものの清軍は援軍を集め、雲貴総督の劉岳昭と雲南巡撫......
杜鳳楊(と ほうよう、''Du Fengyang''、1848年 ‐ 1870年)は、清末に雲南で起こった回族反乱(パンゼーの乱)の指導者杜文秀の長女。杜鳳英とも書く。蔡廷棟の妻であったので蔡杜氏とも呼ばれる。杜文秀は1856年に雲南での回民蜂起を指導し大理をはじめ多くの都市を手中に収めており、1867年に昆明に向けて40万の大軍を派遣した。杜鳳楊は幼いころより父親に従って軍中に......