村井 貞敏(むらい さだとし、生年不詳 - 1944年(昭和19年)5月22日)は、日本の海軍軍人。山形県鶴岡市で誕生、荘内中学校出身。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校50期を卒業、任官。1944年5月22日、砲艦橋立の艦長として南シナ海東沙島南方海域で損傷輸送船の救助中に、米潜水艦の雷撃を受け沈没、戦死した。
村井 貞敏(むらい さだとし、生年不詳 - 1944年(昭和19年)5月22日)は、日本の海軍軍人。山形県鶴岡市で誕生、荘内中学校出身。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校50期を卒業、任官。1944年5月22日、砲艦橋立の艦長として南シナ海東沙島南方海域で損傷輸送船の救助中に、米潜水艦の雷撃を受け沈没、戦死した。