村上 忠順(むらかみ ただまさ、1812年5月11日〈文化9年4月1日〉 - 1884年〈明治17年〉11月22日)は、三河国碧海郡堤村(現・愛知県豊田市)出身の国学者・刈谷藩御典医。忠順の蔵書は「村上文庫」として刈谷市中央図書館が所蔵している。幼名は賢次、字は承郷、号は蓬盧。忠順は医業を「生活の方便」と割り切っており、国学の奥義を極めることに心血を注いだ。三河地方の国学者としては吉田藩の羽田野敬雄と並び称され、「東の羽田野、西の村上」として知られた。
村上 忠順(むらかみ ただまさ、1812年5月11日〈文化9年4月1日〉 - 1884年〈明治17年〉11月22日)は、三河国碧海郡堤村(現・愛知県豊田市)出身の国学者・刈谷藩御典医。忠順の蔵書は「村上文庫」として刈谷市中央図書館が所蔵している。幼名は賢次、字は承郷、号は蓬盧。忠順は医業を「生活の方便」と割り切っており、国学の奥義を極めることに心血を注いだ。三河地方の国学者として......