村上 亮康(むらかみ すけやす、生年不詳-慶長13年(1608年)?))は、日本の戦国時代の武将。因島村上氏当主・村上尚吉(なおよし)の三男。村上吉充の弟。備後鞆城城主。村上水軍の因島村上氏の一族として活躍した武将であり、瀬戸内の要衝鞆城の城主として活動した。第一次木津川口の戦いにも参戦したといわれる。永禄12年(1569年)に藤井皓玄(杉原景盛の家臣、元・山名理興家臣)が備後神辺城を占拠した際には、三吉隆亮(たかすけ、三吉氏)と共に神辺城奪回に貢献している。尚、名前の「亮」の字は何かしらの縁あって隆亮から偏諱を受けたものと思われる。後に紀伊国から毛利氏を......
村上 亮康(むらかみ すけやす、生年不詳-慶長13年(1608年)?))は、日本の戦国時代の武将。因島村上氏当主・村上尚吉(なおよし)の三男。村上吉充の弟。備後鞆城城主。村上水軍の因島村上氏の一族として活躍した武将であり、瀬戸内の要衝鞆城の城主として活動した。第一次木津川口の戦いにも参戦したといわれる。永禄12年(1569年)に藤井皓玄(杉原景盛の家臣、元・山名理興家臣)が備後神......