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李諒

推定知名度0.08%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

李諒(りりょう、大暦10年(775年) - 太和7年(833年)3月)は中唐の官僚。字は復言。徳宗の貞元16年(800年)に進士登第、同21年(順宗の永貞元年)春に塩鉄使となりを授けられるが、(おうしゅくぶん)のに際して王に与したとして順宗の元和2年(807年)に同州澄城県の令(県令)に左遷される。以降県令や州の刺史といった地方官を歴任するが、文宗の太和3年(829年)にから京兆の尹に転出、その翌4年7月から翌々5年2月迄を勤め、尋いでへと転じた後、同7年3月に在職のまま死去した。在世中は白居易や元稹と交遊があったといい、『続玄怪録』の撰者にも擬せられているが、一方で『続玄怪録』に収める「張老」の末に「塩鉄院を知(つかさど)」った李公の命で同則を誌したとある「李公」を李諒と見る説もある。

過去の推移