李 興鋭(り こうえい、''Li Xingrui''、1827年 - 1904年)、字は勉林。清末の官僚。湖南省瀏陽出身。太平天国の乱が発生すると団練を組織し、曽国藩の幕下に入って安徽省の祁門に駐屯した。祁門の防衛に功績をあげ、知県・知府に昇進した。1865年には祁門での反乱を未然に防いでいる。1868年、曽国藩が直隷総督に就任すると、それに従って直隷省の大名府知府となり、さらに道員に昇進した。1870年、曽国藩が両江総督に戻ると、その下で軍務を担当し、彭玉麟が長江水軍を創設するのを補佐した。曽国藩が死去した後は、李宗羲が両江総督に就任するが、李宗羲の信任......
李 興鋭(り こうえい、''Li Xingrui''、1827年 - 1904年)、字は勉林。清末の官僚。湖南省瀏陽出身。太平天国の乱が発生すると団練を組織し、曽国藩の幕下に入って安徽省の祁門に駐屯した。祁門の防衛に功績をあげ、知県・知府に昇進した。1865年には祁門での反乱を未然に防いでいる。1868年、曽国藩が直隷総督に就任すると、それに従って直隷省の大名府知府となり、さらに......