李素節(り そせつ、648年 - 690年)は、唐の高宗の四男。母は蕭淑妃。中宗と睿宗の異母兄にあたる。651年(永徽2年)、雍王に封ぜられ、まもなく雍州牧に任ぜられた。徐斉聃に師事して学問を受け、古い詩や賦を暗誦した。勉学にまじめにいそしんだので、高宗に愛された。のち岐州刺史に転じ、郇王に改封された。しかし母の蕭淑妃が武則天と争って死ぬと、素節は申州刺史に流された。666年(乾封元年)、素節は病のため入朝しなくてよいとする詔が下った。素節は実は病ではなく、『忠孝論』を著して自分の考えを述べた。倉曹参軍の張柬之がこの『忠孝論』を献上すると、武則天は不愉快に......
李素節(り そせつ、648年 - 690年)は、唐の高宗の四男。母は蕭淑妃。中宗と睿宗の異母兄にあたる。651年(永徽2年)、雍王に封ぜられ、まもなく雍州牧に任ぜられた。徐斉聃に師事して学問を受け、古い詩や賦を暗誦した。勉学にまじめにいそしんだので、高宗に愛された。のち岐州刺史に転じ、郇王に改封された。しかし母の蕭淑妃が武則天と争って死ぬと、素節は申州刺史に流された。666年(乾......