李 立三(り りつさん)は中華民国から中華人民共和国にかけて活躍した中国共産党の政治家。湖南省に生まれ、湖南中学を卒業後に1919年、勤工倹学でフランスに留学。留学中の1921年に中国共産党に創立党員として入党。1927年に南昌起義に参加。同年政治局員となる。1928年中央宣伝部長となり1930年には中国共産党の最高指導権を掌握、都市労働者の組織化と蜂起を主とするいわゆる「李立三路線」を党に採択させた。しかし「李立三路線」は失敗に終わり1931年にコミンテルンから極左偏向と批判された。党内での失脚後はモスクワに滞在し、コミンテルンや赤色労働組合インターナシ......
李 立三(り りつさん)は中華民国から中華人民共和国にかけて活躍した中国共産党の政治家。湖南省に生まれ、湖南中学を卒業後に1919年、勤工倹学でフランスに留学。留学中の1921年に中国共産党に創立党員として入党。1927年に南昌起義に参加。同年政治局員となる。1928年中央宣伝部長となり1930年には中国共産党の最高指導権を掌握、都市労働者の組織化と蜂起を主とするいわゆる「李立三......