李 秀成(り しゅうせい、''Li Xiucheng''、1823年 - 1864年8月7日)は、太平天国の指導者の1人。広西省藤県出身の客家人。従兄弟に李世賢、養子(一説に実子)に李容発がいる。太平天国軍が藤県を通過した際に、蜂起に参加した。咸豊8年(1858年)に洪秀全が五軍主将を再建した際に後軍主将となり、翌9年(1859年)に忠王に封ぜられた。咸豊10年(1860年)に第二次江南大営攻略を成功させ、江蘇省南部を攻略、蘇州に忠王府を建てた。同年、蘇州には配下の慕王譚紹光を駐屯させ、自分は清の部将曽国藩ら湘軍が包囲する安慶の救援作戦に赴き、西進して武漢......
李 秀成(り しゅうせい、''Li Xiucheng''、1823年 - 1864年8月7日)は、太平天国の指導者の1人。広西省藤県出身の客家人。従兄弟に李世賢、養子(一説に実子)に李容発がいる。太平天国軍が藤県を通過した際に、蜂起に参加した。咸豊8年(1858年)に洪秀全が五軍主将を再建した際に後軍主将となり、翌9年(1859年)に忠王に封ぜられた。咸豊10年(1860年)に第......