李益(り えき、748年 - 827年?)は、中国・唐の詩人。字は君虞(くんぐ)。鄭州の人物であるが、祖籍は隴西狄道(甘粛省臨洮県)。大暦4年(769年)の進士で、鄭県(陝西省華県)の尉となったが、昇進の遅いのに不満を抱いて辞職し、河北の地方を遊歴、幽州(北京)・邠寧(甘粛省東部)節度使の幕僚となった。その文名が憲宗に聞こえ、秘書少監・集賢殿学士に任ぜられ、傲慢な態度のために一時降職されたが、侍御史・太子賓客・右散騎常侍を歴任、礼部尚書に至った。疑い深い性格で、妻や妾の部屋にはいつも鍵をかけ、戸口に灰を撒いて不義を防いだりしたため、「妬癡(とち)尚書李十郎......
李益(り えき、748年 - 827年?)は、中国・唐の詩人。字は君虞(くんぐ)。鄭州の人物であるが、祖籍は隴西狄道(甘粛省臨洮県)。大暦4年(769年)の進士で、鄭県(陝西省華県)の尉となったが、昇進の遅いのに不満を抱いて辞職し、河北の地方を遊歴、幽州(北京)・邠寧(甘粛省東部)節度使の幕僚となった。その文名が憲宗に聞こえ、秘書少監・集賢殿学士に任ぜられ、傲慢な態度のために一時......